こんにちは、たくみ〇です。
最近の日本のニュースを見てびっくりしました。園児を3名の保育士の方がこどもを虐待していた事に驚きを隠せません。
大切な我が子に虐待をされては、たまったものではありません。親はこどもの将来の為に頑張って働いているものです。そのこどもが信頼をして預けている保育園での行為はもっと社会的に問題になって、国としても徹底的に改善をしてもらわないと日本でこどもを育てる気になれません。
他人事ですますような問題ではなく、自分のこどもがこのような仕打ちを受けていたらどうしますか?そのことを考えて社会の方向性を見出さないと社会が大きくなりません。
反抗もできない幼児に虐待をする行為は、人間として最低の行為だと思います。意見の相違、プライドを傷つけられたなど気持ちが欲情することはあっても、弱い、反抗もできない幼児を自分の感情で虐待するのは、人間にあるまじき行為です。
親が子どもを虐待したとのニュースも耳にしますが、女性の方は育児ノイローゼなど、精神的にイラっとすることもあるようですが、保育士はその仕事を選んだ人ですよね。老人ホームでもそのような事が話題になったりもしますが、人の世話をすることは並大抵の気疲れはあると思いますが、自分には向いていないと分かれば、すぐに辞退をすることです。
またそのような施設などでの、絶えず話し合い、情報のやり取り、ミーティングなど、解決策はないのでしょうか。人の感情は難しい、こども、お年寄りは気遣いができず、わがままやり放題ですが、こどもの時は多少なりとも同じような経験をしてきたものです。保育士、介護士などになる方の心の育成ができるところはないのでしょうか。
少し前には、介護にインドネシアの方を採用した、タイ人を採用している医療関係のところもあると聞きます。コロナで状況がどのようになったかは分かりませんが、今後保育園の保育士、介護士、看護師など日本人である必要があるのでしょうか。
日本はお年寄りに優しい国と言われています。若い人たちの為になる国にしたいものですね。
日本人は世間的に、周りに気を配る、上下関係で上からの圧力が掛かることも多いので、諸外国の人が日本で働くのは難しいのでは?と思いますが、人種、宗教間の違いがあっても、みんなで協力ができる社会にならないものでしょうか?日本はアジアのリーダーとしてもう一度大きな夢を頂ないものでしょうか。
タイでの生活の中で、すごーく各社社会で自分の立ち位置をみんなが理解をしているので、そのような施設、病院、保育園なども自分がいけることろに入る。周りの付き合いも身分相応の人を相手に付き合ったり、仕事場も同郷が働いている所に就職をしたり、結婚もその傾向が多いように思います。
まだ日本はそこまでの各社社会になっていないので、自由に人生の選択をされたり、自由の交友をされますが、その国の中に入っていくとこれ以上は入れない所も出てきます。自分のこどもを何とか少しでも良い学校に入れたいと思うのが親心ですね。バンコクの中華系は基本、ほとんどの人が私立の学校に通わせます。
バンコクの中華系タイ人、インド系タイ人などは、身分の高い方が多いですが、地方からの出稼ぎの人は、ミャンマー、カンボジア、ラオスから来る人が多く、タイ人でも英語ができる人はスウェーデン、ドイツ、オーストラリアなどに働きに行っているタイ人が多いです。
海外で仕事をすると、状況を把握して言葉を発する、特にタイ人はプライドが高いので、それと自分の味方か、そうでないかによっても言葉を選びます。自分自身いやになることも多いですが、生まれた環境、成長をしてきた環境によって、人間形成をしていくので、各個人の成長がまちまちなのは否めません。成人になれば自分で考え、成長するとよく言われますが、人には以前の失敗、トラウマがどうしてもそこから抜け出せないこともあります。
弱い人に手を出す人は以前にいじめを経験した人、何か精神的な屈辱を持った人に多いように思えてなりません。両親が幼い時に離婚された方なども、その時の思いもあったでしょうし。親に愛情も持って育てられた方は、他人に甘えることができますが、きびしい環境で育った方は、なかなか甘えられないものです。
またきびしい環境で育った人と、ほめられて育った方の成人してからの伸びしろが大きく違うように思います。きびしく親、先生などから叱られて育た人は、極端に反抗するか、人の顔いろを見たり、相手が要求をすることがを探したり、本来自分がやりたいことができない人もいると思います。わたしも昔はそうだったように思います。
それと叱られて育った方は、相手を褒めることができない。本来ほめられると人はうれしい気持ちになりますね。ほめられるともっと褒めてもらおうと思います。アメリカGAFAの創設者を見ていると、やればできる。自分の発想でどんどん道が開けると思える発想もそこから生まれるのだと思えてなりません。アメリカの国民性、挑戦する人にエールを送る事は大変素晴らしいです。
日本はそんなことやっても無駄だからとか、相手を褒めることができない人が多いです。海外で働いでいるとそこが致命傷です。文化も宗教も、言葉も違う中で仕事をするので、雑談をして相手の良い所を探してほめてあげることは重要です。そうすることによて友達になりやすいです。
叱られてきた人は、守りは強いです。叱られると周りの注意点を気にして、そればかり調べたり、守りに入ったりします。反対に褒められて育った方は、どんどん気持ちが良いので挑戦をしたい気持ちになります。日本人の国民性は、基本ばかりやり事前に回答を求められてもこたえられるようにするなど、徹底していますが、専門分野で僕はこちらが専門なので、そんなこと知らねいと言える人が少ないように思います。
戦後敗戦で、日本は戦闘機などの飛行機類が造らせてもらえなくなりました。その技術者の方がほとんど自動車に移行したので、日本の車産業が伸びていったと聞いています。トヨタ自動車もしばらくエンジンを造らず委託していた時がありました。何年もその技術を更新していないとその物が造れなくなるようです。
世界の中を生きて行く、日本で生きる、その県、その市で生きる。個人個人の生き方がある。わたしは日本での仕事が嫌だった時がありました。他人が優遇されている、自分は精一杯頑張っているのになんで見てくれない。ある意味、社会の仕組みを変えたいといつも思っていましたが、そういう人間はその社会から追放されるのだと気づきました。
日本と言う社会は、今ではパワハラと言う言葉で若い人たちが守られていますが、以前はそのようなものが無く、当時はみんなクソと思いがむしゃらに働いた時代です。でもそのせいか、競争ばかりしていて少しは力が付いたのだと思います。
決してみんなで、ひとり、ふたりなど、個人的に攻めるのはよくありません。この先生だと話ができる、また自分の親に遠慮せず、今の状況を話をすることです。一番信頼できるのが、本来親のはずです。相談ができる、信頼できる人をたくさんつくりましょう。